令和8年8月 米子市成実地区




【地域の手で育む憩いの場・橋本遊園地】
米子市と南部町が接する、自然豊かで田畑が広がる成実(なるみ)地区を訪れました。
歩いていると、田んぼの傍らに「橋本遊園地」と書かれた手作りの看板を発見。ここで地元の加藤さんにお話を伺いました。
この遊園地は市が管理する公園ではなく、地域の方々によって維持・管理されている手作りの広場です。1977年(昭和52年)頃、周辺のほ場整備(圃場整備)が行われた際、区画整理によって余った土地を集め、子どもたちのための遊園地として整備されたのが始まりです。 園内には約50年前に地域の皆さんで購入したというカバの遊具やブランコ、土管やタイヤの遊具などが設置されており、今も大切に引き継がれています。
近くにある米子高校や尚徳中学校の生徒たちが下校途中に立ち寄って憩う場所にもなっており、地域にとって欠かせない温かな空間です。


広場の隅では、自治会長の坂本さんがボランティアで草刈りや朝顔の世話をされていました。味気なかった場所に彩りを添えようと、今年はプランターに朝顔を植え、秋にはサルビア、来春にはチューリップと季節折々の花で装飾を計画中とのこと。大山を一望できる美しい田園風景とともに、地域愛が詰まった憩いの場でした。


【音楽と珈琲を愛する至福の空間・cafe遠音(とおね)】
続いてお邪魔したのは、7年ぶりの訪問となる「cafe遠音」。オーナーの瀬尾さんと奥様が温かく迎えてくださいました。
店内には心地よいジャズやクラシックのレコード音楽と、芳醇なコーヒーの香りが漂います。



今回いただいたのは、コロンビア・ブラジル・ガテマラをブレンドした「遠音ブレンド」と、奥様手作りの「チーズケーキ」。キメが細かく濃密な味わいのチーズケーキと、スッキリしながらも香りの高いコーヒーとの相性は抜群です。 コーヒーが注がれた素敵なカップの側面には「音符」のワンポイントが施されています。このカップの形は、瀬尾さんがお店を開業する前の準備段階で訪れた東京・吉祥寺のカフェ(当時閉店直前)から譲り受けたデザイン。そこに遠音オリジナルの音符マークをあしらったこだわりの器です。

若い頃から「音楽を主体に聴いてもらうお店を作りたい」という夢を抱いていた瀬尾さん。アナログレコードならではの、心に深く響くあたたかな音質にこだわり、自作の真空管アンプやオーディオ機器で好きな音楽を流しながら営業されています。「好きな音楽をかけてお店ができるのは本当に幸せ」と語る瀬尾さんの言葉通り、贅沢で贅沢な時間が流れるカフェです。



【戦国の歴史と絶景を見渡す・石井要害と八幡(はちまん)神社】
続いて、小高い山の上に位置する「石井要害(いしいようがい)」を目指し、参道の階段を登って山頂の八幡神社へ向かいました。 かつて戦国時代にお城(要害)があったと伝わるこの場所は、近年周囲の樹木が伐採されたことで見晴らしが劇的に向上! 山頂からは、雄大な大山と広大な田園風景を一望できる素晴らしい大パノラマが広がっています。戦国時代にもこの場所から敵の動きを一視できたであろうことが容易に想像できる絶好のロケーションです。 1960年代の宅地開発により要害の大半は削られてしまいましたが、頂上には歴史を物語る八幡神社がひっそりと佇んでいます。なお、成実地区にはもう一箇所「新山(にいやま)要害」もあり、かつてこの地域が重要な防衛拠点であった歴史を今に伝えています。



【500年の歴史と平和への祈り・妙喜寺(みょうきじ)】
次に訪れたのは、曹洞宗の古刹「石井山 妙喜寺」。
東堂(先代住職)の足立正悟さんにお話を伺うことができました。 妙喜寺は天正14年(1586年)、豊臣秀吉が活躍した戦国時代後半に創建されたと伝えられ、実に500年以上の歴史を誇る名刹です。本堂の欄間には、明治から昭和期にかけて活躍した名工・富次精齋(とみつぐ せいさい)の手による見事な「龍の彫刻」が施されており、3間にわたる圧巻のスケールと彫りの深さに思わず息をのむ美しさです。 また、境内の鐘楼にある梵鐘(ぼんしょう)にも深い歴史があります。第二次世界大戦中、寺の金属類は梵鐘を含めすべて軍に拠出しましたが、約60年前に復活されました。
現在も夕方6時になると、住職かその奥さんが毎日欠かさず鐘を突かれています。「自動ではなく、自分の手で一つひとつ心を込め、これを聞いた人がみんな幸せになりますようにと祈りを込めてついている」という足立さん。



当時小学4年生だった足立さんは、終戦の日(8月15日)の出来事を今も鮮明に記憶されています。
寺にいた日本海軍の兵隊さんは80人くらい。
高台にラジオを運んで玉音放送を聞こうとしたものの電波が入らず、米子から帰ってきた兵隊さんから「終戦になった」と聞かされたこと、そして米軍の機銃掃射で操縦士の顔が見えるほど低空飛行する爆撃機を目撃した体験など、当時のリアルな記憶を語ってくださいました。
僕も鐘をつかせていただきました。鐘をついた後の合掌。夕暮れの大山を背景に響き渡る鐘の音と余韻には、地域の平和と人々の幸せを願う温かな祈りが込められていました。



【土と触れ合い無心になれるリフレッシュの場・日原市民農園】
田畑が広がる一角を進むと、米子市が市民向けに貸し出している「日原市民農園」が見えてきます。ここで作業をされていた男性にお話を伺いました。 男性は普段お仕事をされており、約10年前からこの市民農園を利用されています。きっかけは市役所の広報誌で貸し出しの募集を目にしたこと。元々はご自宅のプランターでトマトなどを栽培されていましたが、広い畑で直接土に触れる楽しさに魅了され、年1回(年間2,600円程度)の更新を重ねながら継続されています。
区画内では、サトイモ、ゴーヤ、トマト、ピーマン、ナスなど多種多様な野菜を栽培。仕事の合間や休日の夕方など、時間に余裕があるときに訪れては無心で草取りや畑の手入れに汗を流されています。草取りの大変さはありつつも、「無心になれて息抜きになる」と笑顔で語る姿が印象的でした。 収穫した新鮮な野菜はご自宅へ持ち帰り、奥様と一緒に味わうのが何よりの楽しみ。日々の忙しさから離れ、土や作物と向き合う豊かな時間が流れる市民農園でした。
令和元年7月放送

【石碑】
大きな石碑が建っていますね!脇坂さんにお話を伺いました。
この辺りの土地改良したときの記念碑だそうです。
【新山要害山】
こちらの小高い山。鳥取県側では「新山要害山」
島根県側では「安田要害山」と呼ばれているそうです。
尼子時代には福山源五郎の居城でした。
要害山・・・地形が険しく重要な場所に築いた砦

【看板】
「ここは神社の参道で近くに民家、畑もあり危険を伴いますので発砲はご遠慮下さい。」
こんな看板がありました。掃除をされていた乘本さんにお話を伺いました。

【阿陀萱神社/宝石山】
鳥居の前には大きな巨石が。乘本さんに伺うと、
「ある日突然天から降ってきた隕石で、その時一夜の間に山が出現した」という伝説があるそうです。
この巨石は安産祈願の石として祀られているとのことです。
立派な社殿がありました。鎌倉時代には建立されていたと文献が残っているとのこと。
天井には古曳盤石が描いた龍之図がありました。
古曳盤石・・・米子市榎原出身の画家。江戸の後期~明治時代に活躍した。
龍之図・・・・画を極めるため東京へ旅立つ前に志願達成を祈願して絵を奉納しました。

【cafe遠音】
時間帯でBGMを変えている、音楽にこだわったこちらの遠音さんにやってきました!
珈琲にもこだわっているとのことで遠音ブレンドを注文させてもらいましたよ!(^^)
店主の瀬尾さんに店名の由来などを伺いました!いつまでもゆっくり音楽を聴いていたいたくなるお店です。

【ヴァイオリン作り/山根さん】
自宅の工房でヴァイオリンを作っている方がいらっしゃるとのことで伺いました!
もともとは修理をしていたそうですが、自分でも楽器を作ってみたいと、今では制作も行っているそうです。
「結婚や子育てと忙しく、ヴァイオリンを作ってはいるけれど
集中してずっとやって来た訳ではないので、販売先などはありません・・・」
とのことでした。細かな彫り物をした個性的なヴァイオリンなどもありましたよ(^^)
気になった方は、
弦楽器工房 木歌-もっか- 0859-26-1526まで!

【狸たぬきタヌキ!】
玄関先が信楽焼だらけなお宅を発見!この日はお留守でしたが、後日お話を伺いました。
「集め始めたのは10年前。表情が一つ一つ違う信楽焼の魅力に、収集が止まらなくなってしまった」とのことでした。

【文次郎ロード】
成実公民館へ。ここにはかつて小学校がありましたが、通学路が狭く荒れた山道でした。
その道を通学する子どもたちの為に、昭和20年から5年ほどかけて道を整備したそうです。
道には小さな石碑があり、石には「With out discrimination(分け隔てなく平等に)」と刻まれていました。
成実小学校では今も『文次郎ロード』について学ぶそうです。

橋谷文次郎氏<明治7年~昭和29年>
30歳のときに渡米し、自由と博愛・奉仕の精神を培って帰国しました。
平成24年11月

左【文次郎ロード】
1945年頃子ども達の通学路を作るために橋谷文次郎さんが作った道。
整備をしている方たちが居られたので、話を聞きながら歩いてみました。
昔はキジ谷のマムシ山と呼ばれていたそうです。
中【舟上神社】
昔疫病が流行り、それを鎮めるために建てられたといわれる神社。
右【池田侑子さん】
宗像在住の新人作家の方のお家を訪ねました。書かれた本をサイン入りでいただきました!

左【武山輝詔さん】
映像作品を作られるのが趣味の武山さんのお宅にお邪魔しました。
編集した作品の中から、とっておきの映像を見させて頂き、映像作りに対する思いを語って頂きました。
中・右【地域貢献のお孫さん】
宗像と日原の発展に貢献された方のお孫さんを訪ねました。
先代の功績を称えた石碑もありました。弘志さんは趣味で写真もされていて、ギャラリーまで作られたそうなので作品の数々を見せて頂きました。
左・右【宗像神社】
この地域の氏神様を訪ねました。
宗像神社は勝負事の神様として、戦国時代から続いているそうです。
秋祭りが近くあるそうで、その準備をしている子ども達を訪ねました。

左・中【料理教室】
近くの公民館で男性だけの料理教室が行われていました。
なかなかに、作り方がダイナミックでした!その後はみんなでゴハンを食べ、楽しい会でした。
右【日原市民農園】
米子市が市内に設けた農園で、利用料を払って使用します。
農作業中の方が居られたので話を伺いました。畑で知りあったお友達と色々情報交換されたりと、楽しんでおられるようです。
平成18年4月



左【地図】
米子市宗像・日原・奥谷は、米子の南部に位置する町です。
宗像神社や、尚徳小学校がありますね。
中【富士見ヶ丘団地パソコン同好会】
メンバーも、30~80歳と幅広い年代です。
新興住宅地で交流が少なかったのですが、同好会を通して、交流の輪も広がったそうです。
右【法勝寺電車】
今は名残がまったくなく、電車が通っていた道は、道路になっています。



左【荒神さん】
大正のはじめ頃から、1月5日に火をたいて、とんどさんをしています。トシ神さんと、とんどさんの2枚のお札が入っているそうです。
山崩れがあった時にも耐えた神様です。
中【市民農園】
こちらの市民農園では、水菜・チンゲン菜・サニーレタス・大根などを育てているそうです。丹精こめて作った大根を食べさせていただきました!甘くてものすごくおいしかったです。
右【佐藤さん】
現在、佐藤さんが裏山にハイキングコースを作っているそうです。



左【お話を聞きました】
メラピーク(ネパール)へ登山したときの写真を見せていただきました。メラピークは6473m(大山のおよそ4倍の標高)もあり、およそ2週間かけて登ったそうです!
中【文次郎ロード】
山を切り開き、小学校へ通う道を作り、2kmの道のりが、500mになったそうです。
右
「木々が大きくなる頃には、平和になっている」という言葉が書かれています。


左【文次郎さん】
30年間アメリカに滞在。子どもたちの日々の困難を少しでも和らげようと、1945年から「文次郎ロード」を作り始め、5年間で道路ができたそうです。
右【宗像神社】
宗像神社は今の米子市を含む、旧会見郡で最も古い神社です。
勝負事に強い神様として戦国時代には武将や藩主から多額の寄進があったそうです。
平成18年3月



左【宮城一力堂】35年前たくさんのお仲間が建ててくださって、お店を始められたそうです。あつあつの皮がふっくらした桜餅をいただきました。
中【八幡神社】八幡神社からの眺めは大変よく、石井が一望できます。八幡神社のある小高い丘には、かつて石井要害という鎌倉時代の豪族の館があり、出雲や法勝寺方面の道路を守る防衛の拠点だったそうです。
右【成実生活改善女性会】自分たちでお米や大豆を作り、加工場に持ち寄って味噌や豆腐を作っています。お茶を飲みながらみんなでわいわい頂くなど、地域の交流の場になっています。



左【米子高校演劇部】元気いっぱいの6人の部員さんたちです。迫力のある演技でした。滑舌をよくする発声練習を一緒に行いました。
中【かぐや姫工房】「かぐや姫のようなきれいな炭を作ろう!」ということで集まった石井の有志の人たちです。世代を越えた交流の場でした。
右【戸田さん宅の蔵】昔使っていた農具・加工品・衣装などが置いてあります。器や明治の泥人形、ランプなどまるで宝探しのようです。



左【毘沙門天さん】疫病が流行ったとき、群馬県から持って帰ったそうです。
中【庚申さん】風をひかないように小豆ごはんをお供えして、それを持って帰って食べたそうです。毘沙門さんと庚申さんは家のを守るように入り口をはさんで建っています。
右【奈喜良壕】終戦間近に工場として作られたそうです。