平成17年3月
左【米子駅】
米子は山陰の商都と言われ、江戸時代から明治まで米子の地域が商業活動の中心になっていました。鉄道を敷設するための出張所として鉄道管理局をおいたと言われています。
中【昭和38年の米子駅】
昭和38年3月1日に建てられました。
右【キタロウ列車】
平成5年「ゲゲゲの鬼太郎列車」の運行が始まりました。米子駅の愛称として「ねずみ男駅」とも呼ばれています。
左【江戸兵鮨 上田さん】
鮨屋としては昭和32年くらいから営業をはじめられたそうですが、先代は「めしや」として戦前から駅前で営業をされていたそうです。
昔の駅前の様子をご主人に聞かせていただきました。
中【ふるさとの想い出】
松尾陽吉さん編の【「ふるさとの想い出」写真集明治・大正・昭和米子】にはにぎやかな駅前などの写真が載っています。
右【昔の駅前】
昭和10年頃には通勤時間になると、歩道いっぱいに人がいたそうです。そして、道には闇市があり、「かつぎや」と呼ばれる行商人でにぎわっていたそうです。食料品が主で、魚や野菜お菓子などが売られていたそうです。
左【米子コンベンションセンター ビッグシップ】
国際会議・演劇などの催しがあり、全国からの集客があります。
中【元町サンロード】
その昔、車がなかった頃周辺に住む人が、列車で米子駅まで来て、駅前通りを歩いてきて、ここから商店街に入って、買い物を楽しんだそうです。
右【ワールドザッカ コメッツ】
手作りの物を重視して集められた雑貨屋さんです。30歳代を中心に客の年齢層は幅広いです。カウボーイハット・ウエスタンブーツ・ウエスタンのシャツなどが置いてあります。
お店のオーナーは米子駅前商店街が、以前のような活気が戻るように努力したいとおっしゃっていました。
左【フジメガネ】昭和25年頃に駅前にお店を出されたそうです。お店の方にお話を聞くと、駅前は買い物に便利で、医療機関も充実しているのでとても住みやすいとおっしゃっていました。 今ではマンションも建ち、新たに若い人たちが住居を構え、活気のある街になってきたそうです。
右【中江 藤樹】江戸時代初期の儒学者で、日本の陽明学の開祖といわれた人物です。幼少の頃、米子城主加藤貞泰の家臣だった祖父吉長と、この地に暮らしたといわれてます。「徳育知行合一(とくいくちこうごういつ)」の藤樹精神は今日まで受け継がれているそうです。 そして、この石碑のそばに植えてある藤の木は、近江の生家(滋賀県)から株分けされたそうです。