令和7年 年の取材記事一覧

福米西地区 NO.03

令和7年3月放送 福米西地区

【たいそう さん☆さん保育園】
令和7年4月で開園8年目。
広い遊戯室には、鉄棒やボルダリングが!

体操に特化。体を動かすことに力をいれている保育園です。
週に1回、東山水泳場での水泳の授業もあります。
体が丈夫になって、風邪をひかなくなったと言われる保護者の方もいらっしゃるそうです。

【きら☆きら保育園】
さん☆さん保育園でお話を聞いた方・・・?
瞬間移動ではなく、実は、お二人は双子!
もう一人のお姉さんと3姉妹でNPO法人えがおサポート(保育園や子育て支援、学童保育)を運営されています。

取材にお邪魔したこの日は土曜日。
クラスに関係なく、みんな一緒に遊んでいます。

現在は、0歳から6歳までの園児が通っていて、
令和6年度から対象年齢を変更し、0歳から2歳児まで。
年少以降は、姉妹園であるさん☆さん保育園へ転園する形になるそうです。

【子育て情報ステーション CHUCHU】
子育て支援事業(親子で訪問、先生と相談)、保護者さん同士の交流の場。学童クラブがある複合施設です。

毎日のように通われているという親子
東京から転勤してこられたそうです。

転勤で来られた方が利用されるケースが多く、
毎週火曜日の午後は、「転勤族さんいらっしゃ~いタイム」が開催。
サイコロで出た話題について話す企画も実施されているそうです。

こちらの施設は、日曜日、祝日、年末年始がお休み。
土曜日に開所している(米子市の)支援センターはこちらだけとのことで、
土曜日に利用される方が多いです。
予約不要。利用したい時にふらっと来られるのも魅力ですね。

【CHUCHU 学童クラブ のび☆のび】
13年前から学童クラブを運用。(2025年3月現在)
小学1年生から6年生までが利用。放課後の余暇がメインで、(希望者には)土曜日もやっています。

子どもの頃に通っていた職員さんがいらっしゃるそうです。
『子どもの頃遊んでいた場所で職員として働くことになり、感慨深い。1個下にもう一人 後輩として入ってきてくれて、(自分たちは)こどもの気持ちがわかるので、同じ気持ちで遊んでいます。』とのことです。

【素問(そもん)元気堂薬局】
 素問とは、漢方薬に関する古典が由来だそうです。
漢方薬、処方箋、市販薬、自然の成分を使ったサプリなどを取り扱っています。

こちらのお店は、平成元年に境港出身の青砥さんのお父さんが開業されました。
(お父さんは)薬科大学卒業後、福島で漢方薬について勉強されたそうです。

青砥さんご自身は、2018年頃鳥取に戻ってきて、3年前くらいにお店を引き継ぎ、
やりたいようにやればいい。とのお父さんからの声もあり、Instagram、YouTubeにも力を入れられています。

病気になる前のケアが大切。 
消化管をきれいにすることで体臭改善。
おすすめの『ササヘルス』を試飲させていただきました。

緑茶みたいで飲みやすい ちまきの笹のような風味がします。

【幸せの黄金鯛焼き】
いい香りに誘われてお店へ

種子島産安納芋をあんに使用。
店名の“黄金”は、お芋の色からきています。

注文を受けてから焼くので、アツアツです
安納芋の甘さがちょうどいい!
数え方は匹!
多い方は30匹買われる方もいるそうです。

【福米西スポーツ少年団 野球部】
2025年のテーマは:本気
令和6年度は、山陰の大会などいろいろな大会で優勝!

2月に、新チームで大会に出場。
グラウンドで、練習した後は、公民館で野球のルールについての座学も実施されるそうです。

(左)お兄ちゃんが野球をやっていて、その影響で始めた女子部員(新5年生)
(右)WBCでの大谷選手のプレーをみて入部を決めた部員
『本気でプレー、まず1勝。』
チーム内に、今年のテーマ:「本気」が浸透しています!

【カフェドラペ】
2001年開業、丸24年。
開店当時は、お向かいとお隣の3軒くらいしかない造成地で、ここ(お店)から新日本海新聞社の社屋が見えていたそうです。

ご主人が米子出身。
藤波さんご自身は東京で仕事をされていて、早期退職して米子に帰ってこられました。
出張が多い仕事だったので、50代過ぎたら、ゆっくりと落ち着いた仕事がしたいと、
退職する1年位前にコーヒーの淹れ方など教室に通い、準備されてきたそうです。
東京・赤坂の教室で教えてもらったお店からこだわりのコーヒー豆を仕入れされています。

ケーキも手作り。
ブレンドコーヒーは3種類

こちらのテラス席では、桜の季節には、上のカーテンを外すので、上から降り注ぐ桜を楽しむことができます。

春以降 庭の花々が楽しめるとのことですよ。

就将地区 NO.08

令和7年2月 米子市就将地区

【米子城】

米子城専属カメラマン(笑)、ガイドをされている岡さんと一緒に米子城へ
岡さんが撮影された写真は、ポスターやパンフレットに使用されています。

 

2024年12月に港山公園側の登山ルートが完成。

珍しいと言われる米子城の登り石垣。

専用アプリをダウンロードすると、VRで当時を再現した映像が見られます。

【内膳丸】

見晴らしがよく、中海が一望できます。

また、ここから天守を見ることができ、春は桜が咲くので、隠れた撮影スポットだそうです。

【天守台】

天守台から米子の町を一望できます。

鯛石(鯛の形をした石):自然なのか、彫ってあるのか、わからないそうですが、

ガイドする際、ここが一番人気!だそうです。

 

岡さん一押しの撮影ポイントは石垣の隅。

手前にある石垣、大山、日本海、街並み。 全部が一度に見られる絶好のスポット!

【三の丸番所】

2024年3月に完成した三の丸番所。

駐車場が整備され、休憩所・トイレがあり、木造で居心地のいい空間です。

ここにも岡さんの写真が。

季節によって、写真を入れ替えているそうです。 米子城の説明や、VRの説明もあります。

2026年度中の完成を目指して、三の丸広場の整備が進められています。

【ネージュ】

10年くらい前、偶然お声がけした方でした。

こちらのお店は2024年10月にオープン。

国産米粉を100%使用、クリームは大山乳業。こだわりのシフォンケーキ屋さんです。

 

店名のネージュは、フランス語で『ふわふわする雪』の意味
雪と由紀さんのお名前からきているそうです。

【ミス・ラベンダー】

真っ白な外観が特徴の雑貨店。
オープンしてから今年で21年目だそうです。(2025年2月現在)

 

こちらには保護ネコが4匹。愛猫をモチーフにしたオリジナルの和三盆など
フードプリントで作られた商品も取り扱っておられます。

協力できたら、と売り上げの一部を動物愛護団体へ寄付もされているそうです。

 

お客様と仕入れ先の方々に支えられてやってこられた。

ストーリーのある商品を扱っているので、引き続きその想いを伝えていきたいと話してくださいました。

竹内さんは、生粋の就将っ子。おすすめの場所を教えてもらいました。

【目久美(目組)神社】

ミス・ラベンダー 竹内さんおすすめの目久美神社へ

古事記に出てくる久延毘古(くえびこ)という案山子の神様を祀る神社。

足にまつわる神様とのことです。この番組は足が商売道具!参拝しました。

【モンキーポッド クライミングジム】

子供向けのクライミング教室を開催中!

この日の教室は、たくさんの子どもたち(小学生から高校生まで)がクライミングに挑戦しています。

 

教室は子ども向けのみですが、一般利用(3歳から大人まで)も可能なので、

ふらっと来て、登ることが可能です。

現在小学6年生の生徒さん。
年長からクライミングを始めて、今年の全国大会予選では1位通過。

3月に埼玉で開催される全国大会へ出場。結果が楽しみですね!

【えほんや とこちゃん】

以前から前を通るたびに気になっていたお店へ

 

1999年11月にオープン。今年で26年目(2025年2月現在)。

店長の高橋さんは、小学校や保育園で読み聞かせ活動などもされています。

 

店名の由来は『とこちゃんはどこ?』という絵本から。

(高橋さんの)お子さんたちから「一番読んでいた本は、これだよ」という言葉もあり、店名にしたそうです。

 

話を聞いていたら、早速読み聞かせがスタート

表紙をめくって1枚目 見返しの色は、それぞれ絵本によって違うそうです。

ロングセラーの絵本は、子どもたちが気持ちよく生きられる本が多いと話してくださいました。大人も一緒になって楽しめる絵本。

絵本の魅力を伝えたい!という高橋さんの想いが伝わってきます。

啓成地区 NO.06

【期間限定アーカイブ公開!】

令和7年1月放送 米子が生んだ作詞家岡本おさみ特別編

米子市出身の作詞家岡本おさみさん。

ゆかりの地をめぐり、実際に交流された方々のお話を聞きながら岡本さんの人柄を紹介します。

【音楽記念碑】

2024年11月に音楽記念碑が完成した米子市公会堂へ

岡本おさみさんを語る会会長の長谷川泰二さんにお話をうかがいました。

 

70年代の若者には、岡本おさみさんと吉田拓郎さんのコンビの歌が影響を与えている。

岡本おさみさんを語る会発足時から、第一の目標として掲げていた音楽記念碑が承認された。

 

記念碑建設の資金集め、クラウドファンディングで集まるのかどうか不安だったけれど、
突破していく力。やってみよう!というのは米子(市民)のチカラ!

クラウドファンディングの8割くらいは県外の方から。

 

長谷川さんと岡本さんのつながりは、40年以上前にさかのぼる。
岡本さんが米子に帰省された際に、米子では音楽祭がなかなか開かれないと居酒屋で嘆いたとき、『どこでもホールになる! やることが大事!場所がないのは言い訳。』との岡本さんからの言葉をきっかけに、1985年米子ワイワイ音楽祭を開催。

米子市公会堂をメイン会場に、それぞれの場所で各ジャンルの音楽を演奏。
都合が合わず、岡本さんは音楽祭に来ていただくことはできなかったけれど、報告に行きアドバイスをもらった。

『やり続けていく勇気が大事!』という遺言のようなメッセージをもらった。

今後の構想として、岡本おさみアワード(作詞や作曲など創作活動をする次世代の若者たちを表彰する企画)を実施したい。

【旅に唄あり】

山陰中央新報社発刊のエッセイの中に、岡本さんの出身地についての記述があり、実際にその場所で幼馴染のお二人にお話を伺いました。

 

岡本さんは中学時代、卓球をしていたとのことで、卓球しながら歌っていたのを覚えているそうです。

岡本さん、福村さんともう一人の3人でよく遊び歩いていて『糀町の三羽烏』とよばれていたそうです。

 

家のすぐ裏を加茂川が流れていて、幼少期は魚とりをされていたそうです。

当時、橋から飛び降りて遊んでいたそうです。

【啓成小学校】

昭和30年代まで今の高島屋のあたりに啓成小学校があった。

福村さんは、帰り道にたまに岡本さんと一緒になると、馬車ひきのおじさんが荷物を下ろしたあとの馬車の荷車にのるなど、なかなかいたずらな一面が・・

 

岡本さんが作詞家だったとは知らなかったそうで、襟裳岬のレコード大賞受賞で知ったそうです。

【第一中学校(東山中学校)時代の恩師】

第一中学校時代の先生にお話を聞くことができました。

 

生徒は1学年300人(6クラスで各クラス50人くらい)

西尾さんは20歳で教員に。岡本さんとは、5,6歳しか違わず友達のような関係だったそうです。

 

(当時の岡本さんの印象は、)人懐っこいところがあった、優しい口調。

有名になったのは知ったのは、襟裳岬のレコード大賞受賞で。
当時の担任の先生から話を聞き、驚いたそうです。

その後、新聞などに名前が出てきたら、つい見てしまう。と話してくださいました。

【高校時代を語る映像が】

岡本さんは米子東高校に進学。
中海テレビ放送に高校時代を語った映像が残っていました。

当時、野球部が強く、よく甲子園に応援に行っていたそうです。

【高校時代からの友人】

岡本さんは、高校時代からの友人である森脇広静(ひろよし)さんを米子に帰省するたびに訪れていたそうです。
残念ながら、森脇さんは昨年11月(2024年)にお亡くなりになり、森脇さんの奥様にお話をうかがいました。

 

以前は、2階で喫茶店をされていて、お店に顔を出し、何時間もしゃべっていた。

レコード大賞に襟裳岬がノミネートされた日も、実は喫茶店に来られて「逃げてきた・・(笑)」と話していたそうです。表に出ることはあまり好きではなかったようです。

森脇さんの奥さんが、岡本さんに作詞について、話を聞いてみたところ、

楽しい詩ができた時は吉田拓郎さんへ 暗い曲は長谷川きよしさんへと言われたそうです。貴重なお話を聞かせていただきました。

【日本大学時代】

大学時代、岡本さんと交流があったという方にお話を伺いました。

徳田さんが2年生の時、サークル活動で知り合った。

 

岡本さんは、演劇研究会のOB。日大ミュージカルの脚本・演出を担当。

 

同じ米子市出身、それも実家は近所で
中学・高校も同じ学校だったそうです。年齢は、3歳差。

 

徳田さんは東高の野球部出身。故郷の米子については、野球の話をしたことがあるけれど、それ以外はなかったそうです。

岡本さんが米子出身であることを意外と知らない。米子東高校の同窓会の人もあまり知らなかった。「県外の人が来ても、岡本さんが米子出身であることがわかる記念碑ができてよかった」と語ってくださいました。

岡本さんはシャイで、優しい人。

気骨のある、素晴らしい先輩。

【思い出に残る交流をされた方】

日展に入選した時の作品。

岡本さんとは、森田さんは、書道の師匠のつながりで50年前に出会った。

 

10回目の日展にはぜひ襟裳岬を書いて出したい!と思っていた。

2点作って、1点は出展。

もう1点は巻物にして、入選した次の年に千葉の(岡本さんの)ご自宅に持って行った。

 

岡本さんは落ち着いていて物静かな人。

岡本さんが、ミュージカルに熱中していた時があり、その時の話などをされていた。

放浪の作詞家といわれていますが、1か月単位で現地に滞在し、地域の方とコミュニケーションをとりながら創作活動されていたそうです。

【山河、今は遠く】

発起人の長谷川さんは、米子を思って作ったのではないかと思い、「山河、今は遠く」(歌 ネーネーズ)の歌詞を記念碑に刻むことにしたそうです。