平成15年 年の取材記事一覧

夜見地区 NO.01

平成15年5月放送

 

 

迎接院(こうしょういん)を森さんに案内していただきました。

●阿弥陀如来・・・漁師倉吉屋喜和助が海で見つけ、念仏を唱えながら引き上げた仏像。ある日「夜見の人がこの仏像をとりに来るので渡してくれ」という夢をみた。一方その当時の夜見の村長・森六郎衛門は「欲しかった仏像は灘町に行けば手に入るから貰い受けて来い」という夢をみた。

●森六郎衛門墓・・・阿弥陀如来を持ちかえった森六郎衛門の墓。彼が夜見町を開拓した最初の人物と言われています。

●芋代官碑・・・米子市内に四基あるうちに一つ。毎年地元の人たちが、芋代官・井戸平左衛門に感謝をして祭をひらいています。

 

 

●延命地蔵・・・病気を治してくれた雲水に感謝して作られた地蔵

●大切戸(おおきれと)・・・その昔、弓ヶ浜半島は現在のような形でなく、和田と大崎の間には大切戸という海峡があって中海と日本海はつながっていました。

●お昼はらーめんはうすでいただきました。

 

 

夜見神社を宮司の青砥さんに案内していただきました。

●マイタマイタ神事・・・開村の祖先をまつり、豊作をと繁栄を祈ってワラで大蛇を作るようになった。その大蛇を作るときに「マイタマイタ」とかけ声をかけることからこう呼ばれるようになったそうです。

●蝉丸さん石碑・・・百人一首でも有名な蝉丸さん。平安初期、びわの名人だったそうです。晩年には能面で顔を隠して旅に出て、ここ米子で亡くなったといわれています。

●蝉丸さんお面・・・夜見神社七代目の宮司の時に、博労町の蝉丸神社から蝉丸さんのお面がご神体として移されてきました。

 

 

左・中

●湯立ての松・・・その昔、コレラやチフスなどの疫病が流行した時、この松の下で湯を沸かして神主さんが祈祷をしていたそうです。今でも11月末頃にこの風習は続いています。

●通り道のお宅で、春ねぎの皮むきを手伝わせていただきました。

 

 

●夜西神社・・・万永元年(1860年)に作られた神輿が今でも年に一回、夜見校区を練り歩いています。

●砂山・・・今では規模が小さくなった砂山ですが、昔はここでスキーを楽しんでいたそうです。

日吉津地区 NO.01

平成15年3月

●はぜの木・・・江戸時代、ロウの需要が多くなり、日野川土手にはぜの木が栽培されました。当時ははぜの並木が続いていましたが、今では3本を残すのみに。

●蚊屋島神社・・・古文書によると建立は1532年より以前ということがわかっています。こちらには”あまてらすおおみかみ”と”たかひめのみこと”の2つの神が奉られています。

●絵馬(蚊屋島神社拝殿)・・・明治6年に、59人で伊勢からかついで帰って来たという珍しくて貴重な絵馬。

 

●新北京でお昼をいただきました

●元荒神・・・田んぼの中にポツンとあります。もともとこの周りに集落があったそうですが、日野川の氾濫で村が流されてしまい、今では荒神さんだけがこの場所に残っています。

 

●サイノカミ・・・昔、他の村のサイノカミを盗むと良縁があると言われていて、若者数名でかついで帰るということもあったそうです。現在、日吉津村には6つのサイノカミが残っています。

●チューリップ農家・・・この時期にはチューリップは出荷されていきます。チューリップ畑は4月半ばには満開になるそうです。

彦名地区 NO.01

平成15年2月放送

●米子水鳥公園・・・1年を通して水鳥をはじめ様々な生き物の営みを観察できる公園です。コハクチョウの他、カモ類やサギ類、また国の天然記念物であるマガンも観察することができます。

●道の鳥居・・・粟嶋神社へ向かう途中、道端に鳥居を発見!もともとは粟嶋神社の鳥居だったそうです。

●粟嶋神社・・・古代より神の宿る山として信仰があり、長い伝承と歴史をもった神社。もともとは中海に浮かぶ1つの島でした。この森には200種類以上の植物が生い茂り、学術上貴重な為、昭和57年には鳥取県の天然記念物に指定。米子市の名勝にも指定されています。

粟嶋神社内
●お岩さん・・・少彦名命が粟嶋に最初に上陸した場所として難病苦難の守り神として奉られています。

●八百比丘さん・・・八百比丘さん伝説の洞穴で、延命長寿の守り神として奉られています。

 


●龍宮社・・・海の神様を奉ってあるほこら。彦名地区の漁業・農業は中海があったので成り立っていました。そこで各地区の舟入場には安全を祈願してこのほこらが奉ってあるのです。

●やま本・・・今回の昼食は、彦名郵便局の横にあるお蕎麦屋さんで月見山かけをいただきました。

 


●後藤小学校跡・・・その昔、彦名地区には後藤小学校と粟嶋小学校の2つの小学校がありました。わらぶき屋根の寺小屋風の学校はその後、統合されて彦名小学校となりました。

●葉たばこ乾燥場・・・彦名地区といえば葉たばこ生産が活発でした。ピーク時には100軒くらいあった生産農家も後継者不足などの理由で現在は20軒ほどになったそうです。

大崎・葭津地区 NO.01

平成15年1月

●崎津漁港・・・戦後、弓浜部でとれたネギなどの野菜を松江・安来方面へ出荷するのに賑わっていたそうです。

●大崎神社で大崎の歴史をいろいろ伺いました。

●崎津村旧役場は今はもう使われていませんが、当時の面影が残っています。

●地元で評判の焼肉屋さんでお昼休憩

●芋代官碑・・・明治24年に建立されたこの芋代官碑は、高さ約3メートルと米子にあるものでは一番大きな碑となっています。