平成17年4月
左【米子市西町】 西町は米子城下への入り口として栄えました。 城下玄関口だったこの町には、城主荒尾氏の家臣の屋敷などが建ち並んでいました。
中【裁判所】 鳥取県西部の民事・刑事・家事・少年事件を扱っています。 平成21年から、国民と裁判官が話し合い刑罰を決める裁判員制度が導入されます。 皆さんも裁判員になる機会があるかもしれませんね。
右【鳥取大学医学部】 昭和20年に官立米子医学専門学校として開校。 軍医だった当時の米子市長・斎藤千城が文部省に積極的に誘致を働きかけました。戦争協力体勢の流れの中での設立でした。
左【村河家屋敷跡】 鳥大医学部キャンパス内に、城主荒尾氏筆頭家老・村河家の屋敷跡を示す碑があります。 村河直方は、米子の新田開発や殖産興業の発展に尽力しました。
中【鳥取大学医学部付属病院救命救急センター】 平成16年10月に設置された救命救急が必要な患者は 一日平均2~3人くらい。 7名の先生たちが交代で、24時間365日待機してます。
右【港山公園 鳳翔閣跡】 鳳翔閣は、戦前までは貴賓宿舎、戦後は教育会館として使用。 昭和36年頃老朽化のため解体されました。 現在は、庭にあった松と庭石が残っています。
左【港山公園弁慶石】 庭園にある大きな石には、武蔵坊弁慶が子供の頃中海にある島から投げたという伝説があります。
中【港山公園の桜】 桜は昭和52年頃植えられた。シダレザクラ、八重桜など450本が植えられています。この日は花見客で大変賑わっていました。
右【加茂町・西町で出会った皆さん】
左【米子市加茂町】 加茂町は米子市の中心部に位置し、およそ500人が暮らしています(平成17年4月現在)。 大正4年に堀瑞町と宮町の一部があわさって加茂町となりました 。
中【賀茂神社天満宮】 創建は1300~1400年代。 「米子」の地名の由来となった伝説が残っています。 老年になっても子宝に恵まれない女性が、賀茂神社の湧き水で清め朝晩お参りをしました。
この甲斐あって、八十八歳で子宝に恵まれました。 八十八歳は米寿の祝いである事から米子と名付けられました。
右【宮司 須山倫史さん】
左【天津甘栗のお店「三和」】 昭和47年創業の天津甘栗屋さん。 ホクホクで甘みのあるおいしい甘栗です。
中【佐々木昌平さん】
中【内藤鮮魚店】 米子の下町で40年以上続く魚屋さんです。 朝仕入れた新鮮な旬の魚がずらりと並んでいます。 内藤さんの奥さんと娘さんが作る惣菜は絶品です。
右【内藤孝義さん】