令和4年3月 年の取材記事一覧

余子地区 NO.04

令和4年3月

余子の名前は、尼子氏から来ているという説もあるそうです。

 

【余子駅】

今は無人駅ですが、以前は、立派な駅舎があり、駅員さんもいた余子駅。

地域に詳しい佐々木さんにお話を伺いました。当時の余子駅前には、桜並木があり、毎年花見をされていたとのことです。

昭和40年頃 一万トン岸壁が出来たのを受け、余子駅から支線を伸ばす計画があったのだとか・・

高度経済成長の終わりと、物流の主流がトラックへと変わったこともあり、計画で終わったそうです。

 

見せていただいた地図に米子南高校の文字を発見しました。

1979年に廃止になりましたが、現在の老人福祉センターのあたりに境港分校があったそうです。

 

【大同寺】

記録は残っていないそうですが、伝承では、400年前に建てられたとされる大同寺さんへ お邪魔しました。伊藤住職と地域の歴史に詳しい方々にお話を伺いました。

 

現在の境港総合技術高校のあたりにあった、尼子方の出城が毛利軍の急襲に合い、落城。その際に自害した亀井公の若君と乳母が逃げた込んだ末に命を落とした場所。

若君と乳母が逃げるのを手伝った小磯又四郎もこの地で命を絶ちました。

その2~3年後、疫病が流行り、又四郎の恨みだと、霊を祭る行事として毎年7月に「小磯祭り」を開催しています。

 

【おこない】

地域の家々の安全や五穀豊穣を祈る行事

毎年1月9日に行われ、120kgのお餅をついて、奉納します。

鳥取県内では境港市内で数か所行われていた行事ですが、現在では、竹内地区でのみ続いている伝統行事です。

とんどさんの際に行われる神楽など、昔からの風習を残し、人と人とのつながりを大事にする町です。

「よう断ち切らん」と話してくださいましたが、次の世代にも引き継いでいってほしいですね。

 

【おいもや あきべえ】

2020年12月にオープン。 ご自宅で作られたべにはるかを使用した焼き芋やお菓子を販売しておられます。

べにはるかの特徴は、甘くてしっとりしていること。小さなお子様にも人気なのだそうです。

冷やし芋

 

大学芋のようだけど、大学芋とはちがう、『ハニー&バター』

1人で営業されているので、1日10個ほどしか作れないそうです。お邪魔したこの日は、午前の5個は売り切れ、午後の販売分が2個残っているとのことなので、頂きました。 揚げてあり、サクサクした食感が特徴です。

 

看板メニューの焼き芋も食べてみました!

研究を重ねられたそうです。

 

【浜かすり工房 浜木綿(はまゆう)】

弓浜絣で作られた財布や洋服などを販売しておられます。

丸山さんと山本さんは、それぞれご自宅で制作しておられますが、お二人で、浜木綿(はまゆう)として、活動されています。

 

お二人とも、織り始めたのは30年以上前。

地元の蔵に合った古い織機を修理してもらい、使えるようにされたそうです。

弓浜絣保存会には、30人くらいが所属しているそうで、 伝統が受け継がれていっています。

JU米子?島屋でも、常設で購入できる場所があるそうですよ。

今後の目標としては、ここ2年は、コロナの影響で開催できていない中野港漁村市に出品したい、多くの方に見ていただきたいと話してくださいました。

 

【佐々木さん】

10年前にお会いした佐々木さんと再会しました。

前回ご自宅の横に停まっていたMG(車)の姿が見当たりませんが・・

 

車好きの友人に、古い時計のコレクションと交換というかたちであげたのだそうです。 MGが留まっていた場所は 現在、BBQスペースになっていました。

ご自宅の中はコレクショングッズがたくさん!

 

昭和30年~40年頃、若い頃、みんなが乗っていた車のミニカー

 

コカ・コーラグッズ

中でもお気に入りは、このトレイだそうです。

 

ビートルズが好きで、グッズを集めたことがきっかけで始まった コレクションの数々。

ビートルズのレコードは、商店街(現在の水木しげるロード)にあった柏木商会で購入していたとのことで、当時は入り浸っていたそうです。

 

なんと佐々木さんのお父さんは、歴史家の佐々木謙さん

佐々木さんの叔父にあたる、佐々木敬さんは、戦時中フィリピンで戦死されたそうです。

叔父さんの遺品や郷土に残る資料を守るために、記念館を建てられました。

 

記念館の中には、佐々木さんの友人 加藤さんがいらっしゃいました。

 

町内の歴史を編さんし、町誌をつくろうと、資料を集めている際に見つかった  鳥取藩士 佐善元立の写真。

因幡二十士の一人で、実は・・加藤さんのご先祖様だったそうです。

 

資料があまり残っていない。 今やらないと、無くなってしまう、地域の長老もおらず、時間がないとのことで、 がんばっておられます。

中野町誌編さんを通して、歴史に興味を持ったという佐々木さん。

町誌が完成したら、ぜひお知らせください。