令和3年4月 米子城特別編
米子城跡三の丸が国史跡に追加指定されました。
湊山球場として親しまれた三の丸公園。
撮影日(2021年3月27日)は、三の丸PARKFesが開催されていました。
応仁の乱の頃、山名宗之が砦として築いたのが始まりで、本格的な城になったのは戦国時代。
吉川広家により築城がはじまり1602年頃、中村一忠により完成しました。
明治2年頃、藩庁へ引き渡され、その後取り壊されました。
米子城は、五重の天守閣。副天守、四重櫓 と壮大な城だったといわれています。
以前この番組でお世話になった城下町観光ガイドの川越さんにお話を伺いました。
御城印:登城記念として販売しています。
湊山球場として親しまれたあたりが三の丸。 駐車場になった場所には、米蔵がありました。
【松江監獄 米子支部】
米蔵が頑丈なので、監獄として使用していたそうです。
町人から、街中に監獄があるのは、いかがなものか、という意見がでて、 後藤家が自分の土地を監獄用に提供、交換する形で、後藤グランドと呼ばれるようになりました。
現在住吉地区にある拘置所は、その名残です。
後藤グランド→湊山球場→三の丸公園
牛乳手形:今でいう商品券
牛乳神社:現在の西部医師会事務所のあたりにあった牧場(昭和15年に閉場)
城山大師:大正11年頃、安達弁市(あだちべんいち)さんが失明し、祈願のために四国八十八ヵ所を巡り、38番目の地、土佐(金剛福寺)で目が見えるようになったことにあやかろうと、城山にも八十八ヵ所にお地蔵様を設置。
城山の正式な登城口 家臣や敵が攻めてくる場所も、ここから、とのことです。
【札うち】
身内に不幸があったとき、7日ごとに地蔵参りする風習
京都発祥ですが、現在でも変わらない形式で行われているのは米子だけといわれています。
米子市史編さんにも携わった。山陰歴史館国田館長に米子城にまつわるお話を伺いました。
「(米子城を解体した際にでた材木が)風呂の薪になったというのは本当ですか?」
すべてではなく、天守の一部の材木とのことですが、一部は風呂の薪になったそうです。
古物商 山本新助さんが買い取られたとのことで、古い物を集められるのも納得です。
【米子城騒動】
政策を取り仕切る横田内膳を中村一忠の側近が妬んだのがきっかけでおきた騒動で、 横田内膳は、暗殺されてしまいます。
米子の街を整備した横田内膳。もっと長生きしていたら、更に発展していただろうと話してくださいました。
【在りし日の米子城】
境港市の友森工業がCGを活用して作成した米子城の復元イメージ図
【発掘調査】
発掘調査に携わっておられる濱野さんにお話を伺いました。 大学時代考古学を専攻。福市遺跡や伯耆遺跡など、鳥取県西部には遺跡がたくさん。 好きな遺跡を発掘したいと米子への移住を決めたとのことです。
今後球場のスタンドを撤去するのに合わせて、内堀あたりの発掘も予定されています。 ゆくゆくは御殿がどうなっているのか調べたいと笑顔で語ってくださいました。
【飯山(いいやま)】
川越さんから教えていただいた隠れた桜の鑑賞スポット、飯山へ行ってみました。
ボランティアで、山頂へ続く階段の掃除をされている山崎さんに出会いました。
山崎さんが草や木を刈ってくださっているので、飯山からは城山がよく見えます。 こうしてみると、城山の石垣は、色が違うのが一目瞭然ですね。
「石質が違う」と山崎さん。 実家が石屋さんだったこともあり、子供の頃から石に親しんできたと話してくださいました。
よくよく聞くと、知らないことだらけ。 これから発掘調査も行われる米子城跡、あらたな発見が楽しみです。